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腹が立つの腹立たしき [朝青龍]

2012年3月26日

久々にアサショー関連記事がと思えば、当然ながら腹立たしきものなり。週刊ポスト2012年4月6日号からyahooに載りしクソ記事である。曰く、「大相撲 「強行突入」試みる朝青龍を5人の親方必死に止めた」。
問題の部分は、
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警備担当の親方が無線で連絡を入れると、玉ノ井親方は支度部屋に急行。ズンズン進む朝青龍。入り口で警備を担当する若者頭が、決死の形相で通せんぼすると、朝青龍は一瞬ムッとした表情になる。

 手の早い悪童が爆発したらど突き合いになる、そう思われた次の瞬間、玉ノ井親方ら5人の親方衆が駆けつけてきた。それに気づいた朝青龍は苦笑いしながら、ニコリともせずに立ちはだかる玉ノ井親方の表情を見て、自席へ引き揚げた。しかし、来賓同行という立場でなければ、あっさり引き下がったかどうか……、一触即発の土俵下だった。
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この記事のどこがクソかといって、「決死の形相で通せんぼ」した若者頭とやらは、「昨年の八百長事件以来、現役の協会関係者以外は立ち入り禁止となった」旨を、アサショーに説明したかどうかが全く触れられておらぬ。アサショーは愚か者では無い。「八百長事件以来、現役の協会関係者以外は立ち入り禁止となった」(ここで「昨年の八百長事件以来」を省略する事は許されぬ)と聞けば、残念ではあろうがあっさり引き下がった筈である。八百長事件前は相当出入り自由であったのであるから、禁止を周知し説明を施すは、協会側の責務であろう。相も変わらず味噌の足りぬ奴共である。
また、ある若手親方の言として
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「気持ちはわかるが、お客さんは土俵そっちのけで朝青龍を追いかけていた。貴乃花親方は表情こそ変えなかったが、内心は苦々しい思いだっただろう。(後略)」
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とあるが、それは本来の土俵の充実度がアサショー人気を下回るからに他ならぬ。日本人だというだけで「無理矢理大関」を二名もこさえるというウルトラCを平気でしてのけたのであるから、それこそ自業自得である。ちなみにこの度のカクリューの大関昇進は、当然過ぎる程当然であって、カクリューには大いに頑張ってもらいたい。

週刊ポストをマスコミと呼ぶのもあれだが、相変わらずマスコミの苛め体質は全く変わっておらぬようであり、この味噌の軽さには戦慄を禁じ得ぬわれである。だいたい、いつまで経ってもアサショーといえば斯様なるタイプのクソ記事が載り続けるというのが腹立たしい。いつまで経っても腹を立たされるの、げに腹立たしき。

闘いに向かう像! [朝青龍]

新年早々突然であるが、わが朝青龍である。

asa1.jpg
☆闘いの最も似合う男
 
 
引退記念闘像である。昨年の引退時にドン・キホーテ社にて作製が発表され、申込が募集されておったもので、われは昨年の受付開始早々発注せり。

像は30cmとでかく、しかも最新機器にて本人をデジ採寸の、文字通りリアルフィギュアである。見本は様々なる角度から撮影され、ドンキのサイトの特設ページに掲載されておる。

こういうものはハズれるとどうしようもなきものとなるが、この見本を見ると、なかなかの出来栄えである。少なくとも国技館で販売されておった似てもにつかぬ大型フィギュアとは雲泥の差である。(国技館販売物でも、着物姿と土俵入り姿の2バージョンの小型リアルフィギュアはサイコーであったが)。

価格は2万円である。かなりアブラ汗の価格である事は認めるが、アサショーファンには御本尊とし、「一家に一名朝青龍」を合言葉に、何卒是非是非買い求められたい。 
 
 
アサショーは永遠にサイコーなんであるっ!





第二章 [朝青龍]

引退相撲興行の最後は、男女ノ里による渾身の弓取り式であった。「渾身の」と記せしが、正に一世一代の気の籠りし弓取り式は、横綱朝青龍引退相撲の最後を飾るにふさわしき、見事なるものであった。男女ノ里といえば、土俵入りより前であったか、つい先日髷を落とせし輝面龍氏の、花道付近(客席側である)に立つを見、声をかけ挨拶せり。思えば輝面龍氏には、わが朝青龍の付け人頭を長年お務め頂き、僭越ながら自然と「大変お世話になりました」とわが口をついて出たり。スーツ姿の氏の、穏やかで実に良き感じであった。氏の今後の人生に幸あるを祈念する。
 
 

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荒ぶる神 [朝青龍]

わが横綱朝青龍引退相撲における土俵入りの、実に実に美しき。最後の機会ゆえ、われは撮影など到底出来ず、ひたすら眼に、記憶に焼き付けたり。わが横綱朝青龍が最後の雄姿、われは嗚咽と共に「朝青龍ーっ!」と叫びひたすら讃えたり。
そこに神の降りていると感じられる事がある。われはこれまで2度(バレエ、音楽)、それを実感したり。そしてこの日の朝青龍が土俵入りの、3度目の経験となりぬ。吊るし屋根と土俵の間のみ、空間の異なりたり。その輝きの、尋常にあらず、土俵より、周囲を黄金に染めるやに思わるる。まさに咲き誇る大輪の華であった。これを、この華を、今を最後にわれらは失うか。これ程の存在を。
 
 

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童子の如く [朝青龍]

断髪式のわが朝青龍である。


b断髪.jpg


澄みたる顔の、童子の如し。
 
 

青き龍の天に還る [朝青龍]

第68代横綱朝青龍明徳引退後である。

引退相撲より、既に数日の経つ。先に記したる通り、われは引退相撲及び引退披露パーティに参じたり。わが朝青龍が引退儀式を見届け、わが内なる朝青龍との日々に区切りをつけんが為なり。

区切りのつきたるか。

否。

むしろ逆である。

日に日に募るこの寂寥感はどうだ。己が人生に於ける重要なるもののひとつの、決定的に失われたることの、斯くも重く、斯くも空しきは。天才の場の失われたるを目の当たりにせしことの、斯くも苦しきは。
失ってはならぬ力士であった。もう二度と、見ることの叶わざり。

言いたき事は山とあれど、言葉にならず。後日に譲る。恐らく当人こそ、腹膨るる思いに外ならず。一家の仲良き様を目にしたるは、数少なき救いなり。
 
 

広告「自業自得」への怒り [朝青龍]

2010年10月01日

わが朝青龍が引退相撲もいよいよ明後日に迫りたり。
わが朝青龍については、ここ暫く、ゲン担ぎにて、何事も事前にはupせぬ事にしておった。
が、しかし。
どうにも腹の立ちてならず、こは是が非でも引退相撲前に表明しておかずばならぬ事ゆえ、わが禁を侵してここに書き連ねるものである。
 
 

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アサショーは戻った [朝青龍]

昨年、わが朝青龍に関する記事はblogを別建てしたのであるが、
①アサショーの、もはや場所を闘うことも無き(泣)
②blogの複数となりて管理の面倒なる(恥)
等の理由により、この程、アサショー記事のClattery Clatteringに帰還せり。「アサショー礼讃の日々」の記事は、コメント毎そっくりこちらに戻したり。これを機会に、そろそろ浮上し、わがアサショーが事ももう少し記事にしてゆく所存なり.............本編(動物)すら不充分にして、可能なりや否やは別とし。(滝汗)

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応援しておるぞ! [朝青龍]

またである。
また重要なる情報をすっ飛ばして尾ひれが肥大化し、嵩にかかってわが朝青龍を責め立てておる。

何があったか知らぬがアサショー、何があってもわれは応援しておる。どうかどうか踏ん張って欲しい。そして周囲には、アサショーのサポートをくれぐれも頼みたい。
今回の事は事実関係も定かでないのだが、それにつけても思うことがある。アサショーはコトの後半大泣きしていたという。その気持ちはよーく分かる。
なぜアサショーだけが厳しい評価をされるのか。
なぜアサショーだけがいつもいつも叩かれるのか。
何度も繰り返し言うた事だが、雑誌・スポーツ新聞の類=カストリは、アサショーに関しては決して公正な報道(と呼ぶのももったいないが)をせぬ。素晴らしい活躍をした、善行をしたような場合においても、必ず何か含みのある揶揄せし表現を用い、常に何処か傷をつけずにおかぬ。しかもどこまでもダニの如く貼り着きて歩き、とにかく何か問題を起こすもしくは起こさせるのを餓鬼の如く待っておる。「私も人間ですから」とはばるとの言うたセリフであるが、アサショーこそが言いたかろう。どれ程努力し結果を出しても報われる事なく、しかも完全無欠の如き振る舞いを当然視されその型に合わぬがゆえに誹謗される。今回思うたのは、われはアサショーに余りにも無理をさせておったのだということである。いやわれは個人的に知らぬゆえ、実際に無理をさせたという事ではないが、絶対再起不能に近い状態から余りにも強く蘇りしゆえ、いつの間にやらわれは、アサショーの精神ははそれこそ完全無欠の強靭さなのだと思い込んでしもうた。人間である。そんな筈はない。ああして強く蘇るに、どれ程のエネルギーを要したか。更に、常に嫌がらせ的あげつらいを重ねられ、それでも笑うて受け流しておったアサショーに、われは完全に錯覚を起こしておった。笑い受け流しつつ、少しずつ傷つくのである。傷の数が増える程、傷は大きくなるのである。カストリや良識的な専門家気取りの者共の無責任な放言の数々を、笑って受け流しつつ、内心どれ程消耗しておったことか。呑むと荒れる者には、荒れる理由があるのである。今回は暴力の事実関係が不明であるが、いずれにせよ、われは絶対平和というものを信じぬ。「何であれ暴力はいかん」等としたり顔でぬかす輩には反吐が出る。かつてたけしが軍団と共にフライデーに殴り込みをかけた際、われは衷心より快哉を叫んだ。それは何故か。暴力には2つある。物理的暴力と、言語による暴力である。ウチダテによる暴言の数々、面白がって囃し立てるカストリのそれは、暴力ではないのか。私生活を暴き、仕事を離れた私的時間にまで隙を求めてつきまとうのは、暴力ではないのか。いじめが問題視されて久しいが、その殆どは物理的暴力でなく、言語による暴力である。それを反省もなく繰り返すのは誰か。カストリが、アサショーの事を言えた義理か。こういうことが堂々とまかり通る、いやむしろ世の中じゅうが嬉々としてそれを享受する中にあって、どうやって青少年に対する「いじめはいかん」という言葉が説得力を持つというのか。二重規範はもう沢山である。

それにしても、アサショーとその周囲は、無防備というか、脇が甘過ぎる。何しろダニ共は、ユダヤ人を摘発するゲシュタポの如き陰険さ・執拗さで見張っておるのである。足元をすくわれぬ様にするには、ゲシュタポからユダヤ人を守る、ぐらいのレベルでガードせねばいかん。例えばアサショーが飲酒する際には、屈強なボディガードを4人ぐらい張り付けておくべきである。荒れ出したら四肢を一人一本ずつ担当するのだ。一人につき腕1本や脚1本なら、押さえつける事も可能であろう。アサショーは宝なのである。宝を守る事を、周囲はもっと周到にやってほしい。時には本人を押さえつける事も、守りには必要なのである。遅きに失したの感はあるが、くれぐれもよろしく頼みたい。アサショーも、何かあったら親御さんや家族の顔を思い出し、時には己を律する様に頼みたい。アサショーが我慢に我慢を重ねて来ていることは、ファンは分かっておる。ただ、今回の如く足元を掬われる隙を見せぬ様に気をつけて頂きたい訳である。

再びアサショーの相撲を見る事を、切に望む。
応援しておるぞアサショー!
 

ぐわああああっぐやじいっ [朝青龍]

2010年1月24日

大相撲初場所千秋楽である。

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うぐぐぐぐぐぐぐぐ........................。

つっかけが全てを決めた様に思わるる。あの合わぬ間合だ。陸上短距離や水泳においても、フライングをせし選手がトップを取るのは意外と難しいものである。白ホーはサドガタケ(カタカナで書くときのこの様である)程ではないが、あまり呼吸を合わせる気の無き者であるから、ちっとの逸りが命取りという訳である。

まあよい。これで大阪春場所におけるクリアすべき課題は3つである。

まず当然、優勝である。
そして、ナメず気を抜かぬことである。
そしてだ。

春場所は断じて白ホーを撃破せよ!
千秋楽を制すべし!

ゆけ、アサショー!!!!!

まあとりあえず、ゆるりと休まれたい。
今は優勝を衷心より寿ぐものである。
 
 
サンデースポーツの最初の10分を、またも猫のため見逃したり................。(大泣)

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