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横審解体 [朝青龍]

大相撲九州場所終了後である。

わが朝青龍が、遂に全勝優勝を果たした。今年は休場等色々あったが、全勝優勝で締めくくり、見事である。先日も触れたが、見事である一方、日本の力士の不甲斐なさが非常に目につく。大関陣は勝ち越した途端にぼろぼろ負け、しかも勝った相撲も、面白みがない。平幕の豊真将ひとりに日本力士の全てがかかるあたり、誠に進歩なく、お先真暗である。あれほど大関がいて(ちと多過ぎとすら思われる)、横綱になりそうなのが白鵬、もう少し土性骨ががっちりと培われれば綱を狙えないこともないのが琴欧洲とは、一体いかなることであるか。わが身は実は力士の国籍なぞどうでもよく、素晴らしい取組が見られれば誰でも結構と思っているが、こう日本力士が不甲斐なく、一方で脳味噌腐敗(先日風化と書いたが、風化していればまだましであった。こうなっては腐れているとしか言い様があるまい)の横綱審議会が性懲りもなく品格の何のと際限なく言いがかりをつけるとあっては、日本人として、まこと恥に思わざるを得ぬ。左様、横綱審議会は日本の恥である。横綱審議会の名称を、横槍審議会と改めた方がいいのではないか。中でも、内館牧子に至っては、腐敗する脳味噌すらもなき愚か者であることを自ら証明する暴言の連発である。この者は、単なる一相撲好きに過ぎぬにもかかわらず、横審委員に抜擢されたのですっかり舞い上がり、個人の趣味で何を言っても良いと勘違いしているのではないか。内館の、わが朝青龍に対する、苦言と称する言いがかりの数々を見よ。要するにこの者は、「私は朝青龍は嫌いだ」と言いたいだけであり、内容はいずれも笑止千万である。個人の趣味をあたかも普遍の真理の如く公言してはばからぬ、これは恥を知らぬ愚か者のなせる業である。斯様な愚か者に委員を託し、意見を公器に乗せて平然としている相撲界とは、一体いかなるところであるか。わが朝青龍に意見している暇があったら、日本力士のこの体たらくを何とかする方が、余程の急務ではないのか。そもそも、外国籍の力士を受け入れたというのに、完全に日本文化に同化せざるは許せぬというその論法がうそ寒い。先の大戦中、日本は占領したアジアの各地に神社を建て、学校では日本語のみを使わせ、各地の人間に日本人たることを強制したが、正に同様のことが、2006年の日本でいまだに行なわれているとは驚きである。それら一連の薄気味悪さ、すっきりしなさ(横審の主張は大抵の場合非論理的であるから、すっきりしようがないのだ)、勝敗に対する真剣さより横綱としての品格が重要視されるといった、勝負に対する甘い観念、そうしたものが、相撲をどんどん白けさせる。相撲は勝負ではないと公言しているようなものである。これまでに横審が行なったまともな行動は、わが朝青龍を横綱にしたことぐらいである。横審は、相撲界の風紀委員か。その程度のものであれば、世の中には必要ない。くだらぬ言説を都度マスコミに乗せ、情報のトラフィックを増やす分、むしろ迷惑な存在としか言い様がない。斯様に愚かな会は、社会保険庁同様、即刻解体した方が相撲界のみならず、日本のためである。

わが朝青龍の、15日間の健闘を讃える。白鵬にはぜひケガを治し、今度こその綱とりを期待する。相撲を支えているのは、今や外国勢である。はるばるやって来て苦労を重ね、的外れの言いがかりにも耐え、日本の国技を支えてくれる外国籍力士たちには、ただ頭が下がる。


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