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band-aid [ハシビロコウ他動物]

上野に行った。

実に寒い。つい先日はTシャツで歩く程の陽気であったものを、一体この乱高下をどうしてくれよう。ターノ組の外日であるが、者共はまたぞろふるふるとしておるに相違あるまい。うむむむ.....と怒りつつ赴いてみると、わがターノはフラ庭左通路の草むら上に、珍しくちんまりと佇んでおった。寒さゆえ元気なきも致し方あるまいと思いつつ歩み寄ったわれは、ふとターノの右脚に注目する。所謂ヒザ(解剖学的に正確に言うと足首だが)になにやら巻きつけてある。クラフトテープか?.......バンドエイドであった。「はなぢ」に続きこれである。今度は一体何をやったのであろうか。大体において、こうしょっちゅう傷を作るのは、者共の中でもターノくらいのものである。実際、生傷が絶えぬ。他の者には、近頃ケガというのは見受けられず、身に問題といえば、つい最近アサンテが、何者か(或は自ら)のほやほやの排泄物の上に座したらしく、胸から腹にかけてと右翼の端に真白いものが広範についておったくらいのものである。座す位置を少しは気にかけた方が良くはないか、とは思うが、その「気にしちゃいねえ」ところがアサンテらしいとも言える.....。話を戻し、われはふるふるかたかたと震えつつちんまり佇むターノを残し、ターノ部屋前庭に足を運ぶ。というのも、ハシビロ庭にはミリー(サーナ部屋前植え込み上で、実にのんびりと佇んでおった)しかおらず、ハトゥーウェの姿が見えぬからである。基本的に、ターノが左側というか西側に居る時は大抵、ハトゥーウェはターノ部屋前庭に押し入っておるので、念の為チェックに向かった次第である。庭には誰もおらなんだ。が、ターノ部屋をふと見ると、ハトゥーウェが、手前の藁上にずっしりと立っておった。部屋間の金網ドアが開いておったので、自室伝いにターノ部屋に入ったものと思われる。お互いガラスをはさんでおるので、ハトゥーウェを余り緊張させずにじっくりと拝むことが出来た。この者はさすがオスで、娘共に較べ胸板が広く、脚も足指も太い。娘共よりくちばしがでかく、その分頭部全体がでかい訳であるから、多分首も娘共より太いような気がする。立ち姿も、この自室で同じ場所に立つわがターノの場合と比較しても、重量感がある。さすがのempressも、この体格差では勝ち目はあるまい。谷亮子が井上康生に勝てぬようなものである。ハトゥーウェの面白きところは、こちらをしっかり見据えるところである。以前も触れたが、者共は大抵の場合、こちらを凝視しておるようでいて、実は「見ちゃいねえ」(視界には捉えていると思われるが、挑発されぬ限り気にしておらぬようである)のだが、ハトゥーウェは、特に近距離の場合は、しっかりとこちらを見る。わが身がつと横にそれると、ハトゥーウェの視線も追って来る。逆にわが身が眼を凝視すると視線を逸らす(その当たりは動物界のお約束であり、本来動物に対しては、やる気でない限り眼を凝視しないのが礼儀である。動物界のeye contactはチラリズムであって、「凝視」は無礼なる業である)。この繰り返しで、偵察に来たというに、当の相手と暫し楽しんでしもうた。反省しつつターノの元に戻ると、ターノは先程まで池に面しておったものが、ハシビロ庭へと続く通路を進み、しめ縄前に佇んでおった。しめ縄に挑むかとも思うたが、どうもハシビロ庭に入ろうか逡巡している様子であった。もしハシビロ庭に来るのであれば、ターノが正ゲートをくぐる様を写真に収めんと思い立ち、われはハシビロ庭に移動する。と、その時、はるか向こう(という程距離がある訳ではないが)のターノ部屋前庭で、見事な翼が翻る様が見えた。どうやらハトゥーウェは室内に飽きたらしい。ターノの位置からそれが見えるとも思えぬが、ともかくターノは気配を察したか、ハシビロ庭に入ることはせず、そのまま暫し佇んだ。われはその間に、再びハトゥーウェの偵察に向かう。ターノ部屋前庭に達すると、ハトゥーウェは、枯れ草山の横の丸太上にとまっておった。「出てきたのか」と言うと、ハトゥーウェはやおらクラッタリングを響かせ、わが身に向かって首振りお辞儀をした。こういうことは以前にもあり、当時はわが身を何かと勘違いして求愛行動に出たかと思うたが、そのような事がハトゥーウェが何の世話にもなっておらぬ同一人物に度々起こるということは非常に考え難いため、「クラッタリング+首振りお辞儀」自体は、必ずしも求愛を意味せぬと考えた方が妥当のように思えてきた。「動物園日和」には、飼育員氏の言として、新しい刺激があるとパコパコとクラッタリングすると書いてあったので、見知らぬ者へのクラッタリングは、「誰だお前は。オレはここのハトゥーウェだぞ」といったどちらかというと縄張り宣言のような意味合いの方が強いかも知れぬ(飼育員方に対するのは、ありゃどう考えても愛情表現である、当然)。また、首振りお辞儀であるが、者共は枝拾いをする時などにもよく首を振りながら降ろしているので、機嫌良きことの発露といった可能性もある。今回もわが身は数回首振りお辞儀をしてみたが、ハトゥーウェも都度首振りお辞儀を返して来た。敵意なき事の表現である可能性もある。ここでひとつ気になる例としては、以前ある夕刻にハトゥーウェと金網バトルロイヤルを行なった直後のわがターノの行動である。ターノは激しくクラッタリングした後、何度も首振りお辞儀をしておった。これには4つの場合が考えられるであろう。
①部屋間の引き戸を閉めに来た飼育員氏に向けられし愛情表現
最初はこれかとも思うたが、それにしては飼育員氏がとっくのとうに消えてからも暫く続いた。大抵の場合、当の相手が視界から消えるや表現がぱたりと止むこと多きゆえ、この見方はちと留保である。
②ハトゥーウェに向けられし愛情表現
そうであれば面白かろうが、憎みつつ愛す等という高度に複雑な精神活動をトリに当て嵌めるは、ちと文学的に過ぎると思われる。実際は、多分あり得なかろう。
③興奮の発露
戦闘直後であるから、相当興奮しておった筈であり、アタマに血が昇っての行為ではないかという推測である。例えばもしクラッタリングが縄張り宣言の場合もあるとすれば、この場面でのクラッタリングは「此処はわが室なり。うぬが干渉の無礼甚だしき」という意味で正に当を得た行為であると言える。首振りお辞儀はクラッタリングに付随せしアクションであると考えれば、この可能性も否定出来ぬ。或いは、猫が喧嘩の最中に突如として毛づくろいを始める如く、アタマを冷やす為の行為ということもあり得る(猫がアタマを冷やす為に意識的に毛づくろいをするということではない。それをやってしまうのである。恐らく猫の戦闘における行動パターンはそう規定されている)。
④単にやりたかった
却下。
等とつらつら考えつつ、われはフラ庭に戻った。左側に向かいて歩み行くと、ターノがこちらを向いたので、「庭にハトがいたぞ」と報告すると、草地をゆっくりと歩み寄って来る。ターノはそのまま左手前の生垣に登り、わが眼前に佇み、「して、どうであった」と尋ねるが如くわが身を見る。くちばしの傷は、随分と落ち着いて来ているようである。「あれは当分動きそうにないな」ととりあえず言ってみると、ターノは「では仕方あるまい」とでも言うが如く視線を下に落とし、遊べそうな枝はないかと暫し足元の生垣の見定めに入った。じいさんと子供がやって来て、子供が「ねえ、このトリ触りたい」と言う。じいさんは、「ダメだよ、触ると噛みつかれるよ」となだめるが、子供は「触りたいー触りたいー」と駄々を捏ね、挙句ネットを掴むと激しく揺さぶりながら、「ねええええーっ!!!こっちむいてーっ!!!」とわめき散らした。わが身が眉を顰めつつ子供を見たのに対し、ターノは顔を上げ瞬きひとつしたのみにて、平然と右側を見ておる。じいさんはわが内なる憤怒を見て取ったか、「ほらキリンさんがいるよ」と言葉巧み(?)に子供の気をそらし、去って行った。泰然たるターノを前に、われは反省する。かかる場合は多分、「君だって知らないおじさんにいきなり触られたら怖いだろう?トリも知らない人に触られたら怖いのだよ」と説明するべきなのであろう。怒っている場合ではなかった。ターノは全く、「子供のやることではないか、大目に見よ」とでも言うが如くの泰然振りである。反省しつつ、われは数十分に亘り、触れる程の至近距離にてターノに侍るという幸福なる時間を過ごすことを得た。飼育員嬢が自転車で見回りに見えたので、声をかけてターノのバンドエイドのことを聞く。横に切れて皮がむけていたので、とりあえず消毒してバンデージを施したのだそうである。「ターノ生傷絶えませんよね.....」と言うと、苦笑していらした。原因は不明とのことで、戦闘が原因かどうかもわからぬとのことである。が、びびんばになっておる様子も特になきゆえ、単に「何かやった」のではないかと推察される。ターノは自室にて暖房ライト下から手前の丸太上に移るといった場合でも、足元怪しき最短距離を強引に通るような者であるから、アサンテとは別の意味でチャレンジャーなのかも知れぬ。

それにしても、ターノよ、今度は何をやったのだ。


☆泰然たるターノとバンドエイド


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