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もっと怖い [スポーツ]

2010年7月9日

われ個人にとりては、基本的に最早どーでもよいのであるが、今回の大相撲野球賭博騒ぎにおいては、一段落しつつある模様ゆえ、簡単に感想など記す。
 
まず、斯様なる状況にて名古屋場所開催を強行するとは恐れ入りしが、理由がくだらぬ。各方面に迷惑をかけるから、という。両国国技館を現金払いにて建設、更に懐に500億貯め込む協会である。場所を強行開催せずとも、補償する事は難しくなかろう。本日のスポニチのネット記事では、NHK名古屋場所生中継中止により放映権料が下がる(スポーツ紙であるから推測であるが)とし、名古屋場所自体の生みだす諸々の収入も激減すると思われるところから、某大某教授の概算で「波及する損失額は数十億円に及ぶと思う」そうで、「このまま改革が進まなければ、相撲協会は財政的にも大きな危機を迎えることになりそうだ」としておるのであるが、500億も持っておるのであれば、数十億などたかが10%程度ではないか。何処が「大きな危機」であるのか理解に苦しむ。揃いも揃って計算も出来ぬのか、例によって選択的沈黙か、内部留保について語るマスコミは殆ど無きに等しき。選択的沈黙と謂えば、名古屋場所開催決定、理事長代理決定、A級戦犯処刑(大嶽、琴光喜)、BC級戦犯の謝罪(賭博力士一同)を経、マスコミの風向きは微妙に転換して来ておる。魁傑理事長代行案にせよ貴乃花の辞職願取り下げ等笑止千万なのであるが(この場合、金剛や魁傑の感覚の方がマトモであろう。貴乃花の浮世離れをいよいよ以て象徴せし馬鹿馬鹿しき一件である)、一方「まじめな若い力士も」云々といった、『残った力士頑張れ』的空気がそろそろ流れ出し始めそうである。かつて何かにつけわが朝青龍を糾弾せし折には、「一般社会であれば許されぬ」云々という者がマスコミ一般人を問わず多々おった訳であるが、同様に一般社会であれば、例えば経営者の失敗で企業がわやになりし場合等、個々の社員が真面目に頑張っておったのは自明なれど、だからというて、社会はそれを特に救済するという事は無い。構成員が真面目かどうかに拘わらず、淘汰される時はされるのである。可哀想かどうかという意味では可哀想であろうが、だから何とかしてやれというのは全く話が違うのである。時と場合によって都合良き事例のみを持ち出し糾弾せしはマスコミ及び所謂相撲ファンの得意とするところであるが、わが朝青龍に全ての悪を背負わせ事実上放逐したところが、実は残りの方が余程悪かったという事については、一切沈黙であるところが笑える。アサショー=悪と言うた評論家・所謂相撲ファンの悉くが、暴力団については、当初「相撲界には昔からそれがつきものだったんだから」と訳知り顔に語っておった。こうした者共の感覚のズレは、野球賭博騒ぎが大事(おおごと)になるにつれ、「暴力団との関係は困ったものだ」というニュアンスに変わって行く。また、マスコミは、今初めて知ったかの如く相撲界への批難を書き連ねておる訳であるが、番記者のべったり貼り付く日本のマスコミが、相撲界と暴力団の関係、賭博が相撲界でフツーに大はやりだという事実等を、此れまで知らなんだハズは無い。相撲界・マスコミ・所謂相撲ファン全員がぐるとなりてアサショーを石もて放逐せし挙句がこれである。最早これはコメディである。大笑いである。但しわれはこのコメディには興味無きゆえ、かわいそうだろうが改革だろうが声高に語るのはいい加減にされたい。鬱陶しい。
さて公益法人格については、繰り返すが、われは最早現在の日本相撲協会を「公益」法人として認める訳にはゆかぬ。現在の相撲協会は公益法人としては取り潰し、新たに相撲保存会でも立て、相撲を伝統芸能と位置付け、奉納相撲やら祭りの相撲やらをやらせておけば良い。そして現在「大相撲」として興行されておるものは、同じく「伝統芸能」として位置付けられる歌舞伎興行の殆どを松竹が打っておるように、何処ぞのプロモータに打って貰えば良い。それなれば、「伝統」も「アヤシイ内実」も保存出来、且つ見たくもない者がNHKを通じ協会にカネを落とす破目に陥らずに済み、力士も理不尽な迄の意味不明な拘束を受けずに済む。年寄株は当然「名前のみ」とする、つまり事実上「有名無実」なるものとするのである。相撲の実力、管理能力、教育能力、コーチング能力の一切を問わず、カネを用意し株を購入せし者のみの親方となるは、甚だ以て宜しく無し。生国を捨てて迄相撲に懸けたる武蔵丸の株入手能わず、十両の何とかとか前頭の何とかとかキセノサトとか辺りの株を持ちたるを見れば、その不合理(というより最早不条理)は明らかなり。話を戻し、われは引退相撲さえ滞り無く終了すれば、アサショーの絡む場合を除き二度と相撲にカネを出したくない。相撲好きの相撲を見たき者は、カネを払うて直接見るか、民放に放映の可能性あらばそちらを頼るが良い。NHKは奉納相撲のみ放映すれば良い。要するに、以前も言うたが、われとしては、公益法人でさえなければ、品格だろうとやくざだろうと改革だろうと好きにして頂いて結構であって、ともかくわれに関係無きところでやれ、というものである。等と思うておったら、白ホーが地雷を踏みたり。こやつはもともと発言の危うきものなれば、いつかは踏むであろうと思うておったが、やはりであった。白ホーの認識の基本的誤りは、国技であるは相撲であって、大相撲でないということである。われはどーでもよい訳であるが、柔道、剣道他諸々と同様に相撲が国技であるという事には、特に反対はせぬ。だが国技=大相撲となると、例えば講道館柔道のみを国技と呼ぶようなものであって、これは全く違うのである。別の言い方をすれば、相撲協会が滅びる事と相撲が滅びる事は別である。先の「伝統芸能扱い化」に繋がるが、相撲を救うために相撲協会を潰すというのは立派な選択肢である。騒動の最中に相撲協会は、本場所は単なる興行でなく、番付審査として絶対に必要というておったが、番付審査なら東京に自前の小屋があるものを何も名古屋まで出掛けて行く必要は無き訳で、興行であればこそ地方にて行なうのであろう。斯様なる詭弁にもなっておらぬ愚者の理屈を聞くと、真剣にうんざりして来るのである。それはともかく、今回の白ホーは、これでまた激烈な叩きに合わぬかと危惧する。われは白ホーには興味無く、白ホーの言うておることも毎度アレだが、しかし、最早何人たりともあの惨たらしき国民総ヒステリーのリンチ的バッシングに晒されて欲しくない。あれに平然と又は嬉々として参加せし者は、日頃余程被害者意識を膨らませておる者であろうが、そういうのが集団になると、一重にろくでもない。毎度言うことであるが、こういう連中は、全体主義と非常に親和性が高く、一旦マスヒステリアが始まれば、暴力団が100組かかっても止める能わず。実に怖ろしきは、信念も展望もなく徒にマッチポンプに終始せし、センセーショナリズムこそ報道と勘違いしておる愚マスコミであり、こうも容易くマスコミに踊らされる一般人である。そちらの方が、余程害悪であって怖ろしいのである。しょうもないコメントを仰々しく語るコメンテータや評論家やら相撲解説者やらその他作家漫画家定年後の元サラリーマンアナウンサー等等の似非文化人(ああ歌舞伎役者もおったな)といった諸々の類は、はっは、これは単なるクソである。しかしながら、ゾウのフンは紙になり、ほか肥料になったり食物連鎖に貢献したりするフンの類と異なり、このクソ共は何の役もに立たぬどころか害毒にしかならぬゆえ、東京都衛生局におかれては、バキュームカーによる至急処理が望まれる。

けっ






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