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GOE (Greatly Odd Expansion) of impressions [スポーツ]

2010年3月01日

早3月である.....................(汗)

2月は最悪であった。
わが朝青龍強制引退により、われは腑抜けと化し、労働のルーティーンをこなすがやっとであった。僅かなる景気づけを求め、五輪中継を見るも、フィギュアスケ―ト男女シングルにおいては更に脳内核爆発的怒りに沸騰、完全に気力を失いて、気づけば上野にも1度たりとも行けなんだ。

わが朝青龍がことは、アサショー礼讃の方にていずれ語るが、今回は我慢の限界を超え、フィギュアスケートについて語る。そういえば、このblogにてスポーツについて語るは実に久方振りである。

現行ルール(通称バンクーバールール)及びそれに表面上のっとった採点が、ここ数年の得点を実に無茶苦茶なものにしておるのは衆知であるが、その最終目的たる五輪において、見るもどっひゃーんの何かの間違いとさえ思われる採点が、臆面もなく行なわれたり。女子シングルのことである。
フリー終了より暫く新聞記事など見ておると(というてもnetのみであるが)、日本マスコミの寛大さというより勉強不足には、衷心より恐れ入る。あのスコアを見て、仮にもスポーツを担当し当のゲームを記事にする記者が、一体如何にしてこれ程ナイーヴであるのか、全く理解に苦しむ。ユナ・キムの点数は、どう好意的に見積もっても異常である。それを、キムは完璧であって、暗く重いフリーでしかもジャンプを失敗した浅田は、残念だが銀で当然、次回に期待、この論調ばかりである。また、中継を見ておれば、解説者さえも、点数の異常に殆ど全く触れる事がない。なんなのだこいつらは。一体全体如何なる論理にて、この最悪にイカレた採点の肩を持つのか。正に意味不明なる者共である。更に腹の立つことには、マスコミのみならず、訳知り顔の一般人共が、これまた口を揃えて、浅田のプログラムの失敗、印象の失敗、コーチの問題ばかりを言いたてる。こやつらは、どこを見ておるのか。アサショーの件について、われはかねがね日本人であることは恥であると思うておったが、今回再びその念を強くした。全く、アサショーをあれ程「日本をコケにした」と言うて叩いておきながら、自国の選手が事実コケにされておるのを目の当たりにしながら、皆様実に穏やかでいらっしゃる。全く日本人はどうかしておる。

浅田は確かに失敗した。その点に於いて、今回2位であるという事自体は、まあ百歩譲って妥当であろう。だが真に問うべきは、ここではない。フリーをにノーミスにて滑り切ったとしても、浅田は勝てなかったとわれは断言する。キムの異常点を見れば、事は明らかであろう。キムは完璧だったから仕方ないと?ではそう思う貴殿はこれをどう説明する。フィギュアスケートの得点は、採点の合計にショートでは男1、女0.8を掛け、フリーでは男2、女1.6を掛ける。まあ単純に言えば、女の点は男の点の8掛けということになる。なんで8掛けかといえば、私見だが、男女の基本的体力差に勘案してということであろうか。それはともかくとして、この掛け算前の点数が、ジャッジの純粋評価ということになる訳だが、今回又しても「世界最高得点」となったキムの、まずはショートプログラム(SP)における得点を見てみると、何とまあ78.50である。これを元に戻すと、わあああびっくり、98.10である。ちなみに男子の世界最高点保持者は、エフゲニー・プルシェンコであって、91.30である。ほおおおおお、キムはプルシェンコより巧いのであるか!4回転-3回転を大成功させているプルシェンコより!人類のトップに立つスケーターであるのか!
と驚いて、今度はフリーを見てみる。ここで又も「世界最高得点」となったキムの点数を見ると、150.06である。フリーは1.60を掛けてあるので、これを外してみると、おわあああああ、93.79(小数点3位四捨五入した)である。では男子を見てみよう。実はフリーの世界最高点保持者は日本の高橋大輔なのであるが(大怪我前の四大陸での成績)、これは175.84である。男子は2.00を掛けてあるので、これを外してみると、87.92である。ひょええええ、キムはなんと、男子の世界最高より素点で5.87も多いのである!つまり、男子換算すれば98.10+187.58=285.68である!繰り返すが、4回転はおろか3回転半も飛ばぬキムが!高橋は、もとよりスケーティングの滑らかさには定評があり、日本ではそればかり言われるステップはいまだ最高峰であり、おまけにこのフリー男子最高点を叩き出した四大陸では4回転を2度成功させておるのである!それよりも凄い、ユナ・キム!
どうだこの異常さは。ちなみに、浅田にまだまだ研鑽の余地ありとする向きには、敢えて言う。斯様な採点システムに於いて、アスリートとしての矜持を保つには、浅田にはあれしかなかったと。3Aを、極度に消耗するのを承知で2回も入れるのは、浅田が勝つにはそれしかなかったからだと強調しておきたい。本来なら、女子で自分以外出来ぬ技を持っていれば、それは1度に留め、他を手堅くまとめるのが筋であろう。が、なにしろ筋もへったくれもない異常沸騰点が相手にはあるのである。あくまでも「自分の技」にこだわった浅田は、ある意味立派である。まあ、無理が嵩じて敢え無く玉砕してしまった訳ではあるが。

ここまでの至極簡単なる証明を読み、尚且つ疑問符のつかぬ者は、単なる愚か者である。この驚異的異常点の源泉こそが、GOE(Grade of Execution)と演技構成点である。GOEは通称「出来栄え点」ともいい、要するに各技において、出来栄えの評価を加える、或いは引くものである。その点たるや、例えばジャンプでは、最低は-3.0、最高は+3.0。つまり幅にして最大で6点差となる訳である。ところで、その+/-はどのように判断するか?其々について、10弱の要件が表面上挙げられており、その4つを満たせば+2、6つを満たせば+3てなことになっておったりするのである。ところがその要件どうならgoodなのか、どうならOutstandingなのか、といったことは結局主観の問題である。GOE操作で、ジャンプ1つ分くらいは簡単に吹っ飛ぶ。これが、男子においては4回転を避けて勝利を得るの方程式を導き出した。高い技術に挑戦しても、失敗すれば減点規定に基づく減点の他にGOEでごっそり、更に演技構成点でごっそり、となる訳なのである。だからこそプルシェンコは怒るのである。さあて、ちなみにこのGOEの最高点は?今回の五輪のユナ・キムである。17.40!3Aなんぞ要らん要らん、ほうらGOEで幾らでも!おまけに、ここに更にオドロキの演技構成点がつくのである。いわゆる5 elementsというやつである。これが一見公正に見えるのであるが、ははは、面白い例がある。これは日本のどこかの新聞に載ったと思うが(われはnetで読んだ)、今回の五輪前、米国の審判から「プルシェンコのTransitionsの良くなさにはどの程度の点をつけるか」というメールが審判各位に出されたという。どういう事かといえば、要するにこいつのコレにはこれぐらいの点、という事前の申し合わせがあるという事なのである。採点競技には、これは実に多い。必ずしも、「?点にしよう」という具体的申し合わせではなく、ま大体A点からB点ぐらいじゃないすか、といったレベルであるにしても、要するにジャッジ内容は事前調整がされているのである。多分元々は、私的或いは公的利害によって極端な加点減点に走る事のなき様、だいたいこの範囲でしょうという状態をキープする、謂わば良き目的にてこういう事は行なわれた訳なのであろうが、これが結局は過去同様の、今回の例であればカナダ関係者死守の方向に全ては動いた。つまり、例えばプルシェンコのTransitionsの良くなさがジャッジ共の間で話題になったとしたら、次からはどんなにTransitionsが良くともほぼ絶対に予定のA点~B点を出ることはない。その話が出た瞬間から、ジャッジ共の脳裏には「プルシェンコ=Transitionsダメ」の方程式が刻印されるのである。採点競技の怖さはここにある。ジャッジの趣味(恐らくジョニー・ウィアーはここで引っかかった。まあわしも個人的には好かんが)・事前申し合わせの枠(これを厳守すべし、とは多分言っていないが、言っているのと同じである)・いずこかの圧力(ロビー活動がモノを言うスポーツとはこれ如何に)等が結実したものが、異常点な訳である。キムの例で行けば、韓国が大枚を使ったという説もあるようであるが(連盟副会長が韓国人らしい)、われはむしろカナダ関係者の方の説を取る。なぜなら、SPの1・2位の4.72の差も驚きだが、3・4位の6.60差はもっと驚きだからである。おまけとして、男子のカナダ選手パトリック・チャンの順位も傍証となるであろう。あれで織田より上!小塚より上!(われは好かぬが)ジョニー・ウィアーより上!へえええええ、という訳である。

いずれにせよ問題のキモは、まず、現行の採点が技術の基礎点をないがしろにする方向に進んでおるという点である。つまり、基礎点なんぞはどーでもよく、ひたすらGOEと構成点を稼ぐ者が勝利する、という方程式である。そして更に、「絶対評価」を隠れ蓑に、そのGOEと構成点の出し方が天井知らず(表面上は天井はあるのだが、評価としては天井知らずといって過言であるまい)であり、その天井知らずの得点が何故か特定者に集中しておるという点なのである。おまけに、確かに主観は採点競技の宿命ではあるが(完全に主観を排除することは事実上不可能)、少なくとも結果には責任を持つべき各ジャッジの採点は、無記名にて行なわれるという点である。わはははははは。一体これは何だ。同じ疑問符満載であるなら、誰が何点入れたかはっきり分かる以前の採点方式の方が、遥かにマシである。
ユナ・キムの演技が、あるレベルとしては最高であった事は事実であり、浅田が失敗したのも事実であり、今回の順位としては仕方の無きところであろう。だがひたすらないがしろにされる高度な技術、偏重される出来栄えと構成点-----これは実に、以前で言う「芸術点」に他ならぬ。なにしろ要件には、ははは、「音楽の理解」等というものまであるのだ。女子体操の床は音楽を用いるが、「音楽の理解」は採点対象になるのか?

恐らく世界選手権後には、再びルール改正が行なわれるであろう。でなければ、フィギュアスケートはスポーツとしてはこれで終わりである。高度な技を追求するより、キレイに滑る方が優先される事がこれ程あからさまであるなら、誰が失敗の確率の高い高度な技などやるものか。どのように頑張ろうと、特定者に天井知らずの点がつく事が可能であるルール下で、誰が高度なモチベーションを持続出来るものか。フィギュアスケートは昔から非常に政治的な採点で有名であったが、2010年の今に至るも、変わっておらないのであるな、結局。

けっ。
 
 
 




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