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恒例慰霊祭 [ハシビロコウ他動物]

2011年9月23日

上野に行った。

周辺事情は前記事にて述べたる通り最悪であったが、この日の主目的は慰霊祭への参列ゆえ、それについて記す。例年は慰霊碑前にて開始を待つわれであったが、今年は前記事の如き訳で遅刻し、園長挨拶と主な慰霊動物紹介は全く聞けず、カバのサツキへの弔辞の終わりにやうやう慰霊碑前に辿り着きたり。御存知無き向きには紹介しておくが、慰霊祭では毎回、代表動物(その年に慰霊される動物中最もメジャーまたは重要な動物)の担当飼育員が弔辞をするのが常である。今年の主な顔ぶれは、わがホフマンナマケモノのヒデに始まり、地震関連死となりしカバのサツキ、避暑中に突然死のアルパカの灯、裏飼いとなっておった長老ケープペンギンのハチ、同じく老齢死のラマのキューであって、やはりこの中ではメジャー度からサツキの飼育員の弔辞が客観的には順当ということになるのであろう。慰霊碑前にはテントの設置され、彼らをメインとして慰霊パネルのあり、その他大勢を含め合同慰霊である。今年度はアルパカの灯の弔いから、こども動物園からは同僚として恒例の参列者リャマのラーマ氏の他に、トカラヤギ嬢も参列しておった。フクロウのゴロー氏、トカゲ氏は恒例の参列である。われは今年度の逝きし者の中では、ホフマンナマケモノのヒデと特に(一方的に)親しくしておったゆえ、久々に拝むヒデの元気なる渡り写真の、しみじみと迫りたり。毎年誰かしら(一方的に)親しき者を慰霊しておるが、年齢と共に迫るものが大きく、ついうるうるとなるわれであった。弔辞に続き、関係者による献花が行なわれ、飼育員他スタッフの、列を成して慰霊碑に花を捧ぐ。参列動物も、ヒト同様慰霊碑前に赴き、ヒトを代理に立て、花を捧ぐのである。更に続いて一般客による献花となり、われは同行の母と共に列に加わり、白カーネーションを受け取りて粛々と進む。ところで、献花というのは行きし者に対し花を捧ぐと思われるのであるが、なにゆえ花を手前即ち献花者に向けて置くのか、毎度疑問に思うわれである。これは上野に限らず、ヒトの葬儀や送る会の献花等も同様なのであるが、確かに花を手前に向けて積み上げたる方が見た目や写真映りは良いのであるが、美しき花を捧げる相手に見せてやった方が良きように思えてならぬ。尤も、実際に生きたる者同士が花をやり取りする場合、花の先を相手に向けては渡さぬのであるから、良いのやも知れぬが、何か釈然とせぬわれである。話を戻し、番の巡りて、献花し慰霊碑に手を合わせる。灯の死については、tokyo-zoo.netの慰霊祭告知を見て衝撃を受けたる者の多きと思われる。なにしろ死亡記事より先に、慰霊祭告知にて淡々と死亡の伝えられたり。われも非常に驚き(何しろ灯は若齢であった!)、死亡記事も出ぬのにあっさりと慰霊祭告知に掲げられたるに少々腹も立った。その後死亡記事も出でたるゆえ、恐らくは単純なるミス又は見込み違いであろうが、動物園動物には、園側の想像を超える愛好者が居り、その動向に一喜一憂しておるという事を、関係者は肝に銘じられたい。話が度々逸れたるが、献花を終えたる者には、参列記念に絵葉書の渡され(われはカワウソ、母はカバであった)、慰霊祭の終了したり。後半しかおらなんだが、良い式であった。
参列を終えたるわれらは、母のそもそもの目的であったツキノワグマの仔を拝みに移動する。が、道中は前記事の如く阿鼻叫喚の巷と化しており、ようやく辿り着いたところ、午後二時をとうに過ぎておるにも拘わらず、なにゆえか仔クマは出ておらなんだ。母は「あんまり人が多いからじゃないの?」とむしろ同情的に善良なる想像を巡らしておったが、基本的に原則午後二時より公開と公表しておるからには、本日出ておらぬ理由を何処かに掲示してほしきものである。また同様に、本日出ておるのが誰なのかということも、掲示されておる事が望ましい。というのも、わが者共の如く「足環の色で見てね」とばかりに全員掲示してあれば一見さんでも判別がつくのであるが、特にクマは常連でもなければ判別は相当に難しき。東園に滅多に足を運べぬわれも、当然判別出来ず、母はがっかりしたり。ともあれむご混みの中、忍耐で3クマを見、続いて仔ゴリラのコモモを拝みに移動する。インドライオン窓はたまたまぽっかりと空いたるスペースのありて、母は眼前に雌を、登りて雄モハンを拝むを得て喜ぶ。が、その後は再び忍耐であって、スマトラトラの、折角に水遊びをしておったところ、背の低い母は見るを得ず(われは辛うじて見るを得たり)、ようやく見るを得たるは水より上がりし場面であった。更にゴリラである。幸いにもまもなく2歳を数えたる仔コモモの、ペットボトルを咥えつつ活発に動き回り、ガラス窓からガラス窓へ移動を重ねつつ、母も何とか元気に遊ぶ姿を見るを得たり。また、ゴリラであればわれも個体判別可能であるゆえ、今コモモとやりとりしておるのが誰か、あのペットボトルは何か、等説明し、母は興味深く聞き入る。が、混みのいよいよ増し、ホッキョクグマ舎+周辺工事中ゆえに西園には大迂回せねば行けぬゆえ、移動を開始する。母も疲れておろうから、バードハウスには当然寄らぬものと思うておったが、聞けば寄るというので入る。コアリクイと、本日は客側に陣取りたるボウシゲラの愛らしさに、母の大変喜びたり。バードハウスは二階のみにて下り、混み合いの中を迂回点たるゾウ舎を目指す。アティを横目にぐるりと回りてメスの放飼場に至れば、なにゆえかウタイがおらぬ。またぞろハブにされておるのかと見回すが、おらぬ。何ぞ問題でもありしかと、掲示版等見るが、何ら記載の無し。ここでまたぞろストレスの嵩じたるわれであった。繰り返すが、出ておらぬ場合はその旨掲示されたい。仔細を語る必要はなく、展示は休みである(ツチブタ出産→初期育児はこれで通した)とか、今日は留守番しておるとか、その程度で良いのである。ぶつぶつ言いつつ移動し、サル舎に至る。ここには仔も多くいるのであるが、母のさすがに疲れ、「今日はいい」と言うゆえ、放飼場に回らず売店側をモノレール乗り場に進む。ここも混んでおったゆえ、徒歩にて西園に向かう。これも人波に乗りて進むが、途中レッサーパンダは上から拝みたり。母はレッサーパンダ好きゆえ、樹上のアンアンを目にし甚く喜ぶ。が、何しろ人混みに疲れたる二名、重き足をひきずりて、これも母の目的であったツチブタ赤子を拝みに行く。何しろ時間が時間であるから、当然ながらヨシコは爆睡しておるのであるが、腹ばい爆睡であって、仔はその向こうにて眠りておるらしく、母の丸き背の向こうに、僅かに耳ののぞくのみであった。暫く見ておった母であるが、仔の起きそうになく、「4時となればヨシコの食事ゆえ仔も見えるのであるが」と提案するも、「........いい」と疲労困憊の体である。実はわれもこの頃には疲労困憊しておった。前記事にも書きしが、ヒトの多さに疲れたり。おまけに時間的にも、東園を見終えたる者の続々と西園になだれ込みたる頃合いであり、ともかくこれを避けむとて、者共にすら欠礼し、われらは根津駅へと向かうのであった。

前記事にても言うたが、ゆめ連休中に動物園詣でするもので無し。ううう...............

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