SSブログ

広告「自業自得」への怒り [朝青龍]

2010年10月01日

わが朝青龍が引退相撲もいよいよ明後日に迫りたり。
わが朝青龍については、ここ暫く、ゲン担ぎにて、何事も事前にはupせぬ事にしておった。
が、しかし。
どうにも腹の立ちてならず、こは是が非でも引退相撲前に表明しておかずばならぬ事ゆえ、わが禁を侵してここに書き連ねるものである。
 
 
わが朝青龍が引退相撲興行に、プロモーション者(プロモータというと、現在の日本では別の意味を持つがゆえ、斯様に表記す)の付きたり。それはまあ良い。ファンとしては、1枚でも多くチケットの売れ、わが朝青龍の横綱として最後の興行の華々しきものとなるを願うは当然なり。
が、しかし。
このプロモーション者のぶち上げたるキャッチフレーズ及びわが朝青龍が一人称による文章の、わが逆鱗に触れたる事著しき。
曰く。


自業自得

俺はあと2年、大好きな相撲を続けたかった。
10月3日午前11時。
この日が相撲人生最後の日。運命の日。断髪の日。
ほんとうは、あと2年。相撲をやりたかった。
子供の頃からの憧れだった横綱。
体も大きくないのに、一生懸命やったんだ。
俺はやってきたんだ。
でも。
わがままをやりすぎたかな。
まだまだやりたい夢があったのに。
後悔先に立たずって言葉が骨身にしみる。
日本のみなさん。
今まで騒がせてばかりでごめんなさい。
だから、もう、これが最後の日。
ぜひ、見守ってください。
ありがとう。
日本のみなさん。ありがとう。


朝青龍ファンで、10/03を楽しみにしておる者等、恐らくひとりもおるまい。
毎場所を、手に汗握りて勝利を祈り、声を尽くして応援し、賜杯を抱く朝青龍を念じつつ、或いは国技館で、或いはTV前で、われらは朝青龍と共に闘いの時を過ごしたり。ダニマスコミ共の見当違いの叩きに無言で耐え、或いは反論し、メディアスクラム禍を指摘し、理屈になっておらぬ非難を声高に言い立てしアンチの輩共を迎撃せしは、何も当人だけにあらず。ファンはそれぞれに、それぞれの形で、朝青龍と共に年月を過ごして来たるものなり。突如の引退に納得も出来ず、割り切れぬ思いを抱え、尚も、必ずや最強横綱としての引退相撲を、と念じ待ちたり。遂に引退相撲の決定せし時には、これでこそわが朝青龍を、美しく、華々しく送り出してやれるものと安堵し、それぞれが、それぞれの内の、万感の思いに区切りをつける時として、10/03に臨むのである。

それを「自業自得」は台無しにした。

われらにとりて、失われたるものは余りに大きい。朝青龍が相撲を、二度とこの目に見る事が出来ぬのである。仮に朝青龍の思いが実際に「自業自得」であろうが何であろうが、喪失の理由は一切関係が無い。もう見られぬ―――これが全てである。であればこそ、朝青龍ファンは10/03国技館に向かう。もとより朝青龍が取組は見られぬ訳だが、せめて最後の土俵入り、言い換えれば最後の力士姿を目に焼き付けんと、重き足を引き擦りて、必死の思いで出向くのである。だが、「自業自得」により、それは見事に、「来し方を振り返り、頑張って来た自分に思いを馳せ、おのが至らなさに反省し、最後にけじめをつける朝青龍を見に行く」行事という型に嵌められてしまった。朝青龍ファンで、「日本のみなさん。今まで騒がせてばかりでごめんなさい。」に怒りを覚えぬ者がいるであろうか?われらは皆、朝青龍が見当違いのところで叩かれ続けて来た事を知っておる。朝青龍が自分から騒いだ事はない。酒の場など私生活では大いに騒いだかも知れぬが、それは最強横綱としての朝青龍には関係が無い。常に騒ぐのはマスコミであり、横審であり、協会の一部であったに過ぎない。何故朝青龍だけが騒がれるのか。何故朝青龍だけが叩かれるのか。ファンは繰り返し考えて来たるものである。個人的には、われは酒の場を含む私生活において仮にどれ程荒くれ者であろうが、天才格闘家、最強横綱としての朝青龍には全く関係が無いと思うておる。天才とはそうしたものなのであって、小市民の生活感覚を当て嵌め非難するなど、不当を通り越して笑止千万である。
引退記者会見の際の、朝青龍の言葉を、われは思い出す。
「品格品格言いますが、土俵に出れば、鬼になる」
これが朝青龍である。久々の優勝でガッツポーズを叩かれた朝青龍が、その次に優勝した時、再び土俵上でガッツポーズをしたる様を、われは思い出す。あの時、朝青龍はまず両手を上げた。そしてゆっくりと拳を作り、ゆっくりと、その拳を突き上げ、はっきり意識的に、ガッツポーズをしたのである。
われには、こう見えたり。
「そう、これがオレだよ………朝青龍だ!」
そう、それが朝青龍である。だからこそ、愚かな所謂好角家の眉をひそめたるを尻目に、ファンの一層の喝采を浴びたるものである。叩かれる様々な事について、朝青龍は、自分が悪いとは思うておらぬに違いない。処世術的にまずいだろうな、と思う事はあってもだ。悪いと思うておらぬのだから、朝青龍は謝る必要はない。しかもよりによって引退相撲興行の宣伝広告において、謝ったりなどしてはならぬ。どの様に叩かれようとも、「これがオレだ」で押し通す事こそ、朝青龍の美ではないのか。「自業自得」広告は、それを完膚無きまでに矮小化した。わが最強横綱を、コケにしてくれたのである。このプロモーション者は、朝青龍が土俵上で如何なる力士であったのか、全く関知しておらぬのではないか。それが失われたということがどういう事か、全く分かっておらぬのではないか。プロモーション者は自身のblogにおいて、朝青龍が某番組で、「自業自得」の反省の言葉を「何故もっと早く言わなかったんですか?」と突っ込まれた、と楽し気に記す。何故朝青龍に、メディアにおもねさせるのか。それが処世術上有利な事は百も承知で、われは敢えて問う。一体誰にそれをさせているつもりなのか、と。
広告業界にとりては、斯様なる事は、どうでも良いのである。広告は、実は、言わずとも購入する固定客は相手にしておらぬ。センセーショナルに耳目を集め話題となれば、広告は成功である。マスコミに大きく取り上げられたる「自業自得」は、大成功なのであろう。そこには、朝青龍ファンの存在は無い。朝青龍と共に歩みしファンの月日は無い。ただ広告としての成功があるだけである。だが、わが最強横綱を安売りせし「自業自得」を、われはファンとして、決して認めることは出来ぬ。朝青龍がこのコピーを承認しているということは、何の免罪符にもならぬ。唯一無二のあの相撲を失ったファンに、広告「自業自得」を支持する事は不可能である。

引退相撲興行の大成功を、衷心より祈念する。無論われも参ず。万感の思いと共に。
 
 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。